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2月11日は建国記念の日|建国記念日ではない理由と江藤小三郎自衛官の憂い

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2月11日は「建国記念の日」で「建国記念日」ではありません。「の」が入っている馬鹿馬鹿しい理由や昭和44年の2月11日に「我「建国の日」に魂魄となりて、民族の危機にあたるものなり。 」と覚醒書を残して自決された江藤小三郎陸上自衛官について触れます。9回もの廃案を経て成立、施行されたこの休日の意味と大切さを今一度、一緒に考えましょう。

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国民の休日の一つ

日本の休日は、「国民の祝日に関する法律(祝日法)」によって定められています。この法律は戦後の1948年7月20日に施行されました。「建国記念の日」もその一つです。合計16日というのは先進国の中では最多で、仕事中毒(ワーカホリック)と言われる国民性からは意外だという意見もあります。

しかし有給が取り難い、勤務内容によっては土日祝日の関係なく働いている人も多いため、恩恵を受けられていない事も多いのではないでしょうか。ちなみに2015年までは15日でした。2016年に新しい祝日「8月11日(山の日)」が追加されたためです。

国民の休日

せっかくなので国民の休日を全て記載しておきます。ハッピーマンデー制度なる馬鹿げたルールで日にちに変更が起こっているので、元の日にちも記載しておきます。

  1. 1月1日 元日
  2. 1月第2月曜日 成人の日 元は1月15日 1月の第2月曜日は成人の日|国民の休日になった理由と成人式の由来
  3. 2月11日 建国記念の日 2月11日は建国記念の日|建国記念日ではない理由と江藤小三郎自衛官の憂い
  4. 2月23日 天皇誕生日 2月23日は天皇誕生日|日本の象徴たる天皇の生誕を祝う日
  5. 3月春分日 春分の日(年によって日にちが変わる) 3月の春分の日はGHQに消された歴代天皇を祀る皇霊祭の日
  6. 4月29日 昭和の日 元々は昭和天皇の誕生日
  7. 5月3日 憲法記念日
  8. 5月4日 みどりの日
  9. 5月5日 こどもの日
  10. 7月 第3月曜日 うみの日
  11. 8月11日 山の日
  12. 9月第3月曜日 敬老の日 元は9月15日
  13. 9月秋分日 秋分の日(年によって日にちは変わる)
  14. 10月第2月曜日 体育の日 元は10月10日
  15. 11月3日 文化の日 この記事
  16. 11月23日 勤労感謝の日 11月23日は「新嘗祭」を祝おう|収穫を感謝し来年の豊作を祈る日

意義

「建国記念の日」には「建国をしのび、国を愛する心を養う」という意義があります。しかしこの文章を読んで記載していると自然と湧いてくる疑問。それは「日本の建国って正確には何時なのか?」ということです。

日本国はいつ誕生したのか?

令和3年は、皇紀2681年です。これは「日本書紀」に基づいて、初代天皇である神武天皇の即位年を元年として年数を数える「神武天皇即位紀元」という日本独自の紀年法により出された数字です。

それ故に、神武天皇の即位した日が日本国の誕生日と考えるのが一般的です。日付の根拠は「日本書紀」の神武天皇が紀元前660年1月1日(旧暦)に即位したという記述で、この日を太陽暦で換算すると2月11日となるのです。

元は「紀元節」という祝日

「建国記念の日」と制定される前の1873年(明治6年)、神武天皇の即位した2月11日が「日本国の建国の日」として「紀元節」という祝日と定められました。

しかし第二次世界大戦後、1948年(昭和23年)にGHQ(占領軍)の意向で廃止されました。恐らく、紀元節が神武天皇の即位の日であることから、再び天皇の権威が高まる事を恐れたアメリカの意向があったのではないでしょうか。しかし戦後の日本ではそんな事は起こらず、自然に復活の流れが生まれ、1966年(昭和41年)にようやく「建国記念の日」という「国民の休日」として復活したのです。

ちなみにGHQは日本の休日について他にも口出ししてます。例えば11月3日の文化の日。本来は明治天皇の誕生日で「明治節」でした。しかし人気のある明治天皇の名を冠する記念日など許せなかったようです。詳しく知りたい方はこちらをどうぞ。

建国記念日の法案は9回も廃案に

「建国記念日」に関する法案は9回に渡って国会で提出されましたが、全て廃案になりました。

暴力に訴えて反対した社会党員

そんな状況に業を煮やしたのか、1963年(昭和38年)には永山忠則委員長が強行採決を図り、それに反対する社会党の議員に体当たりされて入院する騒ぎまでおこっていたそうです。ちなみに永山議員は熱心な建国記念日復活論者だったそうです。

もちろん「強行採決」は良くないでしょう。しかし自分の国の建国を祝う日の制定を反対するのは理解不能です。それにいくら反対でも相手を入院させるような暴行を加えるなんて絶対に許されません。

左翼勢力は昔から自分の意見のために「暴力」をふるっていたんですね。記憶に新しいのは民主党(現 無所属/立憲民主党 民友会)小西洋之参院議員が故鴻池祥肇委員長へ飛びかかっていたことです。

民主・小西氏が委員長めがけてダイビング攻撃…法案可決時、与野党大荒れの“壮絶肉弾戦”

参院平和安全法制特別委員会で17日行われた安全保障関連法案の採決では、民主党の小西洋之参院議員が鴻池祥肇委員長めがけてダイビング攻撃を仕掛けるなど、与野党が肉弾戦を繰り広げる大荒れの展開となった。

後略

2015/9/17 産經新聞

民主・小西氏が委員長めがけてダイビング攻撃…法案可決時、与野党大荒れの“壮絶肉弾戦”(産經新聞)

「建国記念日」復活に反対したのは誰か?

GHQによって廃止にされた「建国記念日」の復活の機運は早くから生まれていましたが、これに異を唱える勢力がありました。それは現在、左翼勢力と言われている日本社会党と日教組などです。彼らは平成の世になった今現在も反対しています。毎年反対集会を開いています。多分今年も、その後もずっと、彼らが存在し続ける限り開き続けるのでしょう。

反対派の主張

何故彼ら、サヨク勢力が反対するのかも議論するためにも知っておきましょう。

軍国主義が復活する

彼らの主張によると「建国記念日」を作れば軍国主義が復活するそうです。既に戦後75年以上経っていますが・・・彼らの頭の時は止まっているのでしょうか。

神武天皇など居ない

神武天皇なる架空の人物が即位した日を建国記念日にするなんて認められないそうです。

確かに、神武天皇が実存した人物かどうかについては様々な議論がありますから、頭ごなしに批判するつもりはありません。

神武天皇は、須佐之男命(スサノオノミコト)の暴れっぷりに怒った天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋(あまのいわや)に隠れたためにこの世から光が消えた話や天上から追放されて出雲に行った須佐之男命が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した話で有名な「日本神話」に出てくる登場人物でもあります。その天照大神の直系であるとされていることから、実在人物ではないと認めないのでしょう。

彼らが認めなかった理由はまだあります。それは、神武天皇の年齢が「日本書紀」では127歳、「古事記」によると138歳となるため、ありえないと否定しているのです。確かに気持ちは判ります。しかし、この件はそういう理由で否定、拒否するといった類いの問題ではないと思います。それが理解できない頭とは思えないのですが。残念です。

「建国記念日」ではなく「建国記念の日」に

さて、鋭い人は「建国記念の日」という名称に違和感を覚えていると思います。通常であれば「建国記念日」でいいはずですし、他国ではそれが一般的です。

しかし先に述べたように「建国記念日」復活には執拗な反対派がいました。そんな彼らをを懐柔するために、当時の与党である自民党は、日付については有識者による諮問会で議論を重ねて決め、「建国記念日」ではなく【建国記念「の」日】ではどうかと提案したのです。法解釈による逃げの提案ですね。しかし、日本社会党も妥協してそれを飲みました。

「建国した日」という事象を記念する日??

「建国記念の日とは「建国した日」という事象を記念する日」と解釈するそうです。一瞬意味が判らなくなってしまいました。かまいたちのネタ「もし俺が謝って来られてきてたとしたら、絶対に認められてたと思うか?」じゃあるまいし、憲法で一体何をしているのか突っ込みたくなります。

大切な日なので、早く制定したかった気持ちも判りますが、更なる時間が掛かったとしても、賛成派も反対派も安易な妥協をせず、「建国記念日」制定について思う存分議論し続けていたらどういう結果になったのか興味があります。

ようやく法案通過

いろいろありましたが、1966年(昭和41年)6月25日にようやく「建国記念の日」を定める祝日法改正案が成立しました。そしてその後、約半年の時間を掛けて日付の選定をすすめ、同年12月9日、「建国記念の日」を「2月11日」とするという答申が出され、佐藤内閣のもとで「建国記念の日となる日を定める政令」を公布、即日施行されたのです。

着目すべきは途切れること無く続いている歴史の長さ

日本は、写真が残るほど近代になって生まれたような歴史の浅い国ではありません。ただ、神話が生まれるほどの長い歴史が存在するだけです。

「現実ではありえない」「そんな事は許されない」などと主張する人達は、他国にもある建国神話についても文句を言うつもりでしょうか?言わないでしょう。実際、他国へ文句を言いに行く左翼議員の話を聞いたことがありません。

でもその異常なほどのこだわりが「建国したという事象を祝う日」なんていう気持ちの悪い解釈を作り出し、「建国記念の日」が生まれたのです。

この事は、反日勢力の異常な思考回路を理解するために知っておくべき事でしょう。まあ、理解できませんけど。っていうか多分、未来永劫判り合えなさそうです。

国を憂いて自決した陸上自衛官江藤小三郎

「建国記念の日」が施行されてから3年後の昭和44年の2月11日、とても残念な事がおこりました。それは陸上自衛官の江藤小三郎氏が一人ひっそりと工場の影でガソリンを被って自殺したのです。

国に対して大きな功績を持つ「元勲(げんくん)」の祖父を持つ

現在、新しい解釈が出て多く取り上げられるようになっている「明治維新は悪」という話もありますが、ここではその件について論じません。ちなみに私は「明治維新は誤り・・・だったかも?」と傾いているポジションです。興味の有る方は関連の本を読んでみると良いでしょう。

2020年に起こったアメリカ大統領選挙の異常さに少しでも疑惑を持った人なら、この本を読むとはっとすることがたくさんあるとだけ付け加えておきます。

話を戻します。自決した江藤小三郎陸上自衛官の祖父は明治維新において多大な貢献をしたとされている江藤新平氏です。こういった血筋であったことや周囲にも日本を大事に思う人が多いため、日本への愛情も深かったのではないかと思います。しかしそれ故に自決に至ったのは残念です。どうしても、生きて日本を守ってくれていたらと思ってしまうからです。

残された覚醒書

江藤氏は自決するにあたり、覚醒書を残しています。それがこちら。

混沌たる世界、暗雲立籠む皇国。自然科学におかされ地獄道に落ちし民族。
これを救う道、一事に極む。これ大自然に沿いし無私の心なり。無私の心、真我に通ず。真我集へば破るる事なし。国の大事、すべて無私より始まる。
ここに気付き行えばあとは康し。
一皇万民、天皇の許に真我が集う時、皇国毅然として興る。皇子皇民、一丸となり熱鉄玉を呑む勢いにて行えば世界万民を救う道をなすこと難くなし。
我、神命により不生不滅の生を得む。ここに肉体を放棄し永遠の生命を得む。
我「建国の日」に魂魄となりて、民族の危機にあたるものなり。

昭和四十四年二月十一日
wikipediaより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E8%97%A4%E5%B0%8F%E4%B8%89%E9%83%8E

「無私」となり、皇国を、民族を救うために魂魄となることを選ばれてしまった。

「我「建国の日」に魂魄となりて、民族の危機にあたるものなり。」の言葉は、あの悪名高き毎日新聞のねつ造報道「100人切り競争」により、濡れ衣を着せられて無念の死を遂げた向井敏明陸軍少佐の遺書に出て来た文言「死して護国の鬼となります」を思い出しました。

読んでいて胸がしめつけられます。しかしこれほどの決意がある人だったのだから、やはり生きていてくれたらと思ってしまいます。

三島由紀夫の自決も招いた?

江藤小三郎陸上自衛官はのちの三島由紀夫の自決にも影響を与えたとされています。それは三島由紀夫の著書「若きサムライのために」が出版されているからです。

ちなみに「若きサムライのために」には以下の文が記載されているそうです。wikiより引用します。

二月十一日の建国記念日に、一人の青年がテレビの前でもなく、観客の前でもなく、暗い工事場の陰で焼身自殺した。そこには、実に厳粛なファクトがあり、責任があつた。

芸術がどうしても及ばないものは、この焼身自殺のやうな政治行為であつて、またここに至らない政治行為であるならば、芸術はどこまでも自分の自立性と権威を誇つてゐることができるのである。

私は、この焼身自殺をした江藤小三郎青年の「本気」といふものに、夢あるひは芸術としての政治に対する最も強烈な批評を読んだ一人である。

三島由紀夫「若きサムラヒのために」より

国旗、国歌アレルギーを克服しよう

アラフォーである私ですが、幸いなことに小中高と日本国旗を揚げてくれる場所で学べました。国歌も歌えます。しかし入学、卒業の場程度でしか掲げない国旗、歌わない国歌でした。でもスポーツ観戦中には「日本がんばれー」と叫び、サッカーの試合前には「君が代」を小さな声ででも歌います。

国旗を大切にすることも、国歌を胸張って歌うことは自然なことであるべきです。そのためにも、環境づくりが大切だと考えています。なので皆様、休日には日本国旗をあげましょう。子供の頃から「あって当たり前」ならば、「国旗」「国歌」へのアレルギーは解消されていくと思うので。

まずは休日に国旗を掲げることから。

マグネットで取り付けられる国旗。

ストラップもあります。

最後にひとこと

皇紀換算で2600年以上の歴史を持つ日本に私は生きています。「建国記念の日」は日本人として忘れていはいけない歴史が刻まれており、それを伝える義務がある。それが後世へ残せる私の生きた証となり、未来の日本人の心の支えになると信じています。

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