今年の春分の日は3月21日。しかし第二次世界大戦で日本が敗北するまでは「春季皇霊祭」でした。GHQによって名前を変えられた「春分の日」の由来やその歴史について勉強しました。
祝祭日を巡るGHQと日本政府の戦い
「国民の休日」は「国民の祝日に関する法律(祝日法)」によって制定されています。しかしその日は、戦前と戦後では大きく変わっています。
祝日と祭日
そもそも日本には「祝日」と「祭日」があります。「祝日」とは、文字通り祝う日、国が定める祝い事のある日です。そして「祭日」とは、祭りを行う日だったり、神道で死者の霊を供養する日、皇室で祭典を行う日を指します。
戦前の祝祭日
明治政府が明治3年に定めた祝祭日は、1月1日(元日)「大正月」、1月15日「小正月」、3月3日「上巳の節句」、5月5日「端午の節句」、7月7日「七夕の節句」、7月15日「中元・お盆」、8月朔日(ついたち)「八朔田実(はっさくたのみ)の節句」、9月9日「重陽の節句」、9月22日「天長節」の9つでした。
ただし、9月22日の明治天皇の誕生日で、この時加えられた新しい祝祭日です。
旧暦から新暦への切り替え
9月22日?と困惑した方がいると思います。これは明治3年では旧暦だったからです。明治6年から新暦に切り替わり、11月3日が天長節、明治節になりました。新暦への切り替えの際、祝祭日は更に変更が加えられ、合計10つの祝祭日が出来ました。
戦後まで続く明治6年に制定された祝祭日
日本が第二次世界大戦で敗れる前まで続く祝祭日です。祝日と祭日を分けて記載します。
7つの祭日
- 1月3日「元始祭」
- 1月20日「孝明天皇祭」
- 春分の日「春季皇霊祭」
- 4月3日「神武天皇祭」
- 秋分の日「秋季皇霊祭」
- 10月17日「神嘗祭」
- 11月23日「新嘗祭」
3つの祝日
- 1月5日「新年宴会」
- 2月11日「紀元節」
- 11月3日「天長節(明治天皇誕生日、後の明治節)」
以上10日の祝祭日があります。こうして分けると、日本の祝祭日は、皇室との深い繋がりがあったり、農耕民族である故の収穫への感謝の気持ちが色濃く反映されていることが判ります。
神道色、天皇色を嫌ったGHQ
しかし皇室との深い繋がりがあった戦前の祝祭日は、第二次世界大戦に破れた結果、色々と変更されました。これはGHQが「神道」や「天皇」に関わる日を祝うことを嫌った結果です。
「GHQにいたウッダード氏「天皇と神道ーGHQの宗教政策」(サイマル出版会)に「バンズ(民政局宗教課長)が・・・・・政府に対して祝祭日の改廃を勧告した」と証言している。
「「国民の祝日」の由来が判る小辞典(PHP新書 著者:所功)」P43より
ただし、著者の所氏の意見とほぼ同意見なのですが、日本国民はさほどこれらの祝祭日に「天皇色」を意識しておらず、古くから続いているお祝いやお祭りの一つとして捉えていたと思われます。GHQの杞憂に過ぎなかったのではないでしょうか。その証拠に、世論調査として選ばれた祝祭日の結果には、12月25日のクリスマスの日まで含まれていました。(ただしクリスマスの日である12月25日は大正天皇崩御の日でもあります)
GHQの杞憂だったろうと思いますが、結局は日本の祝祭日はかなり改訂されました。その顕著な例は、戦前までは「明治節」であった明治天皇誕生日が、戦後になって「文化の日」と名前を変えられたことが有名です。
日本人同士の強い絆の根底には、天皇陛下の存在がある。戦前であれば特にそうでしょう。そしてその強い団結力をアメリカは恐れたのです。しかし恐れた故に、昭和天皇を死刑にしなかったとも言われています。
もしも昭和天皇を戦争犯罪人として裁いていたら、日本人は未来永劫アメリカを敵と看做すだろうとアメリカ国内からの意見があったことと、日本をソ連などの共産主義者との戦いのための前線基地にしたかったという狙いもあったとされています。
国民の休日(戦後の休日)
戦前まで10日あった祝祭日は、GHQと日本政府の戦いの結果、1948年に公布・施行された「国民の祝日に関する法律(祝日法)」で16日になりました。
今は「ハッピーマンデー制度」という非常に馬鹿げたルールで日にちが変更されているので、忘れないために「本来の日にち」を含めて記載しておきます。
- 1月1日 元日
- 1月第2月曜日 成人の日 元は1月15日
1月の第2月曜日は成人の日|国民の休日になった理由と成人式の由来 - 2月11日 建国記念の日
2月11日は建国記念の日|建国記念日ではない理由と江藤小三郎自衛官の憂い - 3月春分日 春分の日(年によって日にちが変わる) この記事
- 4月29日 昭和の日 元々は昭和天皇の誕生日
- 5月3日 憲法記念日
- 5月4日 みどりの日
- 5月5日 こどもの日
- 7月 第3月曜日 うみの日
- 8月11日 山の日
- 9月第3月曜日 敬老の日
- 9月秋分日 秋分の日(年によって日にちは変わる)
- 10月第2月曜日 体育の日 元は10月10日
- 11月3日 文化の日
11月3日は「文化の日」ではなく「明治の日」|GHQの圧力に勝った日本政府 - 11月23日 勤労感謝の日
11月23日は「新嘗祭」を祝おう|収穫を感謝し来年の豊作を祈る日 - 12月23日 天皇誕生日
12月23日は天皇誕生日|日本の象徴たる天皇の生誕を祝う日
*個別記事のあるものはリンクになっています。
春季皇霊祭(春分の日)
元の「春季皇霊祭」は「春分の日」となり「自然をたたえ、生物を慈しむ」日となりました。GHQによって主旨を変えられた結果ですが、自然との調和を祈る日本人には相応しい良い趣旨の祝日だと思います。しかしこの日は皇室において、歴代天皇を慰める祭祀が行われていることも日本人として知っておくべきでしょう。
今年は皇后陛下の体調が芳しくないようで、祭祀への参列を止められました。
皇后さま、足の痛みで祭祀お取りやめ
宮内庁は20日、皇后さまが1月ごろから持病の頸椎(けいつい)症性神経根症などのため断続的に足に強い痛みがあり、侍医の判断で21日に皇居内で営まれる「春季皇霊祭・神殿祭」への参列を取りやめられると発表した。日常生活への大きな支障はないという。
産經新聞: 2018.3.21 08:03更新
http://www.sankei.com/life/news/180321/lif1803210017-n1.html
春分の日
「春分の日」や「秋分の日」を重要視する理由を知らなくては、彼岸について理解できないので簡単に説明します。
春分、秋分の日はどうやって決まる?
そもそも、春分の日と秋分の日はどうやってきまっているのか。まずはそこから調べました。
2019年の春分の日は3月21日、秋分の日は9月23日です。しかしこの日にちは固定ではなく、国立天文台が計算して出した日にちでした。
現在は2030年まで計算され、その結果は公開されています。しかし太陽や地球の運行などの宇宙の動きを計算したものなので、計算結果通りになるとは決まっていません。
太陽は星々の間を移動していて、その通り道を「黄道」といいます。また、地球の赤道を天にまで延長したものを「天の赤道」といいます。黄道と天の赤道は、お互いが傾いているために2点で交わり、その交点のうちの一方を「春分点」、もう一方を「秋分点」と呼びます。そして、太陽が春分点・秋分点の上を通過する瞬間がそれぞれ「春分」「秋分」と定義され、「春分」「秋分」を含む日のことを、それぞれ「春分日」「秋分日」と呼ぶのです。
地球の運行状態などが現在と変わらないと仮定すると、将来の春分日・秋分日を計算で予想することができます。計算結果を下に載せておきます。ただし、地球の運行状態は常に変化しているために、将来観測した結果が必ずしもこの計算結果のとおりになるとは限りませんので、あくまで参考としてご覧になってください。
質問3-1)何年後かの春分の日・秋分の日はわかるの?(国立天文台より)
https://www.nao.ac.jp/faq/a0301.html
昼と夜の長さが同じ
「春分の日」と「秋分の日」は太陽が東からのぼり、西へ沈む時間が全く同じなので、西へ沈む光が一番正確になります。この西へ沈む光が重要なのです。
西方浄土
西方浄土とは、仏教で言う理想の世界「極楽」です。そして漢字の通り「西」の果てにあるとされています。故に「西」へ正しく向かうための道しるべとして「太陽の方角」「日の光」が重要だったのです。
日本人と太陽
日本の文化、風習として「日の光」「太陽」を大切に思っていることは、日本を「日の本」と読んでいたことや、聖徳太子が「日出ずる所の天子」と文にしていたことから、伺えます。
これは農耕民族である日本人にとって「水」や「土」も大切ですが、まさに日本の守り神である日本神話の「天照大御神」まで繋がるのではないでしょうか。それを表す風習として「日迎え・日参り」という行事があったのです。この行事が仏教の「彼岸」と結びついたという意見もあります。
日本には古来、春分と秋分の日の午後に東の方向に歩いて太陽を拝み、午後には西の方向に歩いてまた拝むという「日迎え・日参り」という行事がありました。それが西方浄土を信仰する浄土思想と結びついて今のお彼岸の行事になったのではないかと言われています。
和ごよみで楽しむ四季暮らし(著者:岩崎眞美子/茶葉) P39より
彼岸とは
西への導きの光が正しい春分の日を中日として前後3日を彼岸と呼びます。そしてその「彼岸」はサンスクリット語の「波羅蜜」を訳した言葉だとされています。
波羅蜜(はらみった・パーラミター)
仏教における「波羅蜜」は「悟りを開くこと」「悟りを開くための修行」を意味しています。よってその「波羅蜜」を意味する「彼岸」とは、悟りを開いたものがたどり着く「涅槃(ねはん)」で、俗世の未だ悟れない私たちが居る場所を「此岸(しがん)」と呼んでいます。
「彼岸」と「此岸」と呼び、この二つの間に、水(川や海)があると説明されていることが多いのですが、この川は三途の川ではありません。岸とは、川や海、湖にあるものですから、イメージとしての説明だと思われます。
自然信仰と仏教の交わり
仏教が日本に伝来したのは、6世紀頃とされています。それまでの日本は「自然崇拝」の色の濃い国でしたが、流れてくる文化や宗教など様々なものを全て飲み込み、日本風アレンジをするのが日本の真骨頂。
「西方浄土」いわゆる「極楽」さえも日本文化の中に取り込んで意識するようになったのはごく当たり前だったと思われます。
日本独自の彼岸会(ひがんえ)
「春分の日」「秋分の日」を境にしての彼岸の1週間のうちに行われる仏事が「彼岸会」です。これはインドや中国にはなく、日本独自の行事です。この1週間には、お坊さんは法要を執り行い、一般の人はお墓参りをするのが通例です。
宮中祭祀への取り込み
彼岸会は聖徳太子のころに始まったとも言われていますが、記録ではっきりしているのは、平安時代の初期です。
806年(大同一)三月、平城天皇は崇道天皇(早良親王)の霊を鎮めるため、諸国の国分寺の僧に春と秋に七日間にわたって「金剛般若経」を読むよう命じていて、これが彼岸会の最初の記録である。
暮しに生きる日本のしきたり(著者:丹野顕)P83より
皇霊祭
平安時代から始まった彼岸会は、宮中祭祀にも取り込まれ、「春分の日」と「秋分の日」の2回に分けて「皇霊祭」が行われるようになり、それぞれを「春季皇霊祭」「秋季皇霊祭」と呼びます。
この日に、歴代天皇や主要な皇族の数十日に及ぶ忌日を春と秋の2回に分けて、「皇霊殿」でその御霊を祀る祭儀を行っているのです。
参考文献
この記事を書くにあたり、いくつかの書籍を参考にしました。興味のある方はどうぞ。
「国民の祝日」の由来がわかる小辞典(著者:所功)
暮しに生きる日本のしきたり(著者:丹野顕)
和ごよみで楽しむ四季暮らし(著者:岩崎眞美子/茶葉)
最後にひとこと
「皇霊祭」として「休日」の祭りをしなくなっても、自然と共に生き、愛してきた日本人にとって「春分の日」と「秋分の日」が大切な日であることに変わりはありません。しかし2000年以上の長い時間を共に歩いてきた歴代天皇の魂を祀る日でもあることを日本人なら知っておきたいですね。